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[思考] 記憶力が落ちたことと、回復したこと
今年頭に記憶力が「著しく」低下した。そもそもの原因については、ここには書かない。

初期の頃は、断続的にチャイムが鳴っている音が聞こえた。音の発生源である筈の場所に行くと、ピタッと音が止む。幻聴だ。「おー、この圧倒的に不思議な体験は面白い!」と思った。この程度なら実害は無かった。

でも、ある時、自分がやった仕事を極端に覚えていられない事に気付いた。

これは不味かった。「何をやったの?」「何でやったの?」「これは何?」系の質問は、全く答えられない。だってサッパリ覚えていないんだもの。確認漏れや、作業が巻き戻る事態が発生し、周囲に迷惑を掛けてしまった。業務はすでに最終段階で、終了までの期間や必要な知識量を考えると、誰かにバトンタッチするのは無理だった。

僕は、仕事のやり方を工夫して対処した。つまり、自分の記憶力は当てにせず、全てメモを取る事にした。本当に思い出せないのだから、それしか無かったのだ。元々メモを取る方だったが、そのやり方に変えてからは異常な量になった。この時の自分にとって、記憶を探る行為は不安でしか無かった。

これは功を奏した。一つ一つの作業は遅くなったが、確認漏れが減り、無事に仕事を終える事ができた。(ちなみに、リリース後の障害は0件だ)

・・・僕は、そのやり方で良いと、思ってしまった。自分の記憶を当てにしない事が正しいと、刷り込んでしまった。


次のプロジェクトに入った。記憶力は落ちたままだったが、それは既に日常になっていた。そして、相変わらずメモを取り続けた。なんと、記憶力が落ちたこと自体を忘れてしまっていたのだ。

新しい環境で、職場ルールが変わり、使うプログラミング言語が変わった。覚えねばならない事が沢山あった。「記憶は当てに出来ない」ので、当然の様にメモを取っていた。メモは追いつかず、更に時間を掛けてメモを取った。頭では覚えていないから、自信はどんどん無くなった。

ある日、上司に突っ込まれた。
「仕事のやり方がおかしくない?なんでそんなにメモとってるの?」

すぐに分からなかった。思い出せなかったのだ。
5分ほど考えて、はっと気付いた。
「そうだ、数ヶ月前に記憶が落ちて、それから治ってない。メモの取り方もその時のままだ」

本当に衝撃だった。暫く立ち直れなかった。
自分の能力が明らかに減少するのは、悔しいものだ。

そこでまた考えた。
記憶を当てにするのは不安だが、再び「当たり前のように」思い出せるようにならねばならない。記憶を意識的に当てにしよう、ノート術からは遠ざかるけど、まずは記憶をしようと、方向性を変えた。

その方向転換から、2ヶ月が経った。メモを取るのをなるべく控えるようにした。少なくともキーワードは頭で記憶するようにした。何より、「自分の記憶は当てに出来ない」という思い込みに、NOと言うようにした。
「僕は覚えられる。不安がる事はないのだ」

今日、4ヶ月前の仕事を見返す機会があった。まさに記憶力が低下していた頃だ。当時の仕事を「思い出し」ながら、当時僕が作ったリストに漏れを発見した。ああ当時は本当に、僅かに前の事すら覚えて居られていなかったのだな・・・。

そして、多分今はもう、殆ど大丈夫なのだな。

正直言うと、まだ少し不安だ。他人が当然のように自分の作業を記憶していて、嫉妬心を感じる事がある。でも、明らかに問題になる程ではない。そして、このまま行けば、何時か本当に回復するだろう。



自信とは、自分を信頼することだ。
自分を頼らねば、自信は無くなる。不安になる。
今を自信を持って生きたいならば、自分を好きで居たいならば、自分を信じる事だ。

不安を避けるようにして、「あれだったら出来るのに・・・」と思うのは、自信とは違う。少なくとも歪んでいる。
不安のない自信は、もっと素直だ。「今、僕はそれを出来る」と自然に思える事だ。
目の前の事を出来ることだ。

これから再び自信を無くすことはあると思う。誰にでもあるだろう。
そういう時は、目の前の事をまず出来る様になること。
出来ないという思い込みと戦うこと。
自分を信頼し、素直に気負わず、自然体で目の前の事を話せるようになること。


何時か、再び自信を無くした時の為に、書き記す。
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by syatin | 2010-07-30 02:23 | 考え事整理
誇示の為の自慢
最近…と言っても、もうここ5年くらいになるだろか。自分の行動の中で、これは嫌だなと思うことがある。それは、誇示の為の自慢をしてしまう事。その行為が完了するまでは気持ちよくて、その後すぐに気持ち悪くなる。

自分の根幹に自信が無くなってきてから、そうする様になってしまった。根幹って言うのは、表面で何かを出来ることじゃない。技術の有る無しじゃない。内側がどれだけ満たされているかって事。

「不快な行動を取るのは、自分に自信が無いからだ」って、世界中のあらゆる場所で言われてる。僕自身、15年も前にそれはその通りだと思った。そして心底では漲る自信があったから、関係ないと思ってた。よもや自分が悩むとは。

自分に自信があった時、「俺が特殊だ」というアピールをせずとも、周囲から何処と無く認めて貰っていた。今思うと有り難い事だ。僕自身、特殊である事はどうでも良かったし、また、他人が特殊だという事を受け入れる準備があった。

生きていると、同じように自慢されたり、「俺は特殊だ」アピールされたりする事がある。満たされていない僕は「すごいね」と言いつつ、心の中で大人気ない反応をしてしまったりする。でもそういう時、相手も何処か満たされていないのだ。自分が自分を認めたい衝動が抑えきれず、その様にしてしまうのだ。

そういう心の内を知っていると、優しくなれる気がするんだ。


今満たされていない人は、これから満たされていくだろう。
自分がしたい社会貢献って、そういう事なのかなぁと思う。
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by syatin | 2010-07-10 13:33 | 考え事整理
[思考] 助け合う事
本当に苦しい時ほどこそ、中途半端な助けは信頼関係を崩してしまう。
だから、人を助けようと思ったなら、全力でやりたい。
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by syatin | 2010-07-08 01:29 | 考え事整理