[思考] 七の七倍許しなさい
クリスチャン系の中高一貫校に通っていた頃、6年間、毎朝繰り返される礼拝が暇でしょうがなかった。礼拝堂に持っていけるものは聖書のみ。僕に出来る事は、眠るか、聖書を読むかだった。お陰で中高時代に、2000ページ以上ある聖書を3回くらい読んだ。(2回目以降、箴言と雅歌は飛ばした。当時の僕にとってそこは退屈だったから。3回目を読み終わった後は、気に入った箇所をペラペラめくって読んでいた)


で、本題。「七の七倍許しなさい」ってのが聖書のどこかに書いてあった。

これって実際やろうとすると、難しくないか?

自分を傷つける他人を許す。許す。許す。耐え切れなくなって神に問う。答えが返ってくる。「ずっと許しなさい」。いやー、傷つけられるだけ傷つけられて、自分はどうなるんだろう。相手には何の注意もしないのだろうか。別にやり返さなくても良いけど、せめてそれ以上傷つけられたくないと思ってしまう。

許せない心ってのは、自分が理想とする人間像には不要な部分。しかし溜まったモヤモヤをどうすれば良いのだろうか。

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あの手この手で相手に復讐するのを正当化しようとする自分。論理的思考と、正しい思考は違う。論理はどの方向にでも積み上げる事が出来る。大切なのはその方向性。自分一人で考えると、その方向性を間違う。

僕「どうすりゃ良いんだろう?」

心の中の人「許しなさい」(即答)

僕「うお。即答かい。でも、やられっ放しになるわけ?」

心の中の人「悪いことは注意すれば良いよ」

僕「そうかぁ」

で、「注意する」ってのを実践しようとすると難しいわけです。自分本位な所が基点の「注意の言葉」と、心の中の人が基点の「注意の言葉」は、透明感が違う。現実の僕が行動する以上、「濁り」が入ってしまいそうな訳ですよ。自分自身を限りなく透明にしないといけない。例え相手が反論しても、やり込めるのではなくて、許しながら接しないといけない。すごく難しい。出来るのか?僕に。その思いは通じるのか?相手に。っていうか、許した上で注意することって何だ?
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by syatin | 2008-03-09 03:03 | 考え事整理
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