[思考] 死にたい概論
今回は精神的な話題を。

「死にたい」と思う時って、ありませんか。

思うだけで実行には移さないけれど、僕にもあります。本気で思い詰めている人に比べたら軽いと思う。本題に入ります。この「死にたい」は、字面の通り命を絶ちたいんじゃなくて、その奥底には「辛い」とか「助けて」という願望があります。もし考えた事のない人が、いきなり友人にそう言われたら、そう捉えると良いかもしれません。似ているものに「消えたい」なんかがあります。

外に対して「死にたい」とこぼしてしまう時は、心も相当に疲れ果てていると思います。他人が助けようとしても、他人に失望する辛さを良く良く知っているから、簡単には心を開かない。開けない。軽い気持ちで「心配」して、その深さに付き合いきれなくなるのは、かえって失望させる要因になってしまったりする訳です。しかし熱意を持って、落ち込んでいる人を理解し力になるのならば、その人は救われるかもしれません。(断言はしません)

一人の人間を受け入れる事は、非常に大変でリスキーです。絶望の底に居る人と向き合うのは、多くの時間と心を割かねばならないかもしれないし、相手に影響されて自分も似た状態になる可能性だってある。そして、熱意があるだけでは、相手は癒されないかもしれない。その症状に対して、どう接するか・どんな接し方や方法があるか・自分を守るにはどうするか、など様々な方法を身に付ける必要があります。多くの人にそんな余裕はない訳です。

でも何とかしなきゃいけない。で、生まれてきたのがカウンセラーという職業なんじゃないかと思います。もちろん、カウンセラーはあくまで他人の立場から癒すので、親身になって力になりたいと願う隣人が居る事は、大きな力になる事でしょう。一人の人間が本気で受け入れられる相手というのは、そう多くないのですが。

以上、なんとなく思っていた事のまとめでした。

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以下、自分の内面の話。

苦しみというのは、他人を理解する為の、或いは他人に優しくなる為のステップなんじゃないかと思います。辛い経験をしただけ、同じような経験をしている人の苦しみを理解できる気がします。勿論、他人の話を親身になって聞くときに自分の経験と重ね合わせるのは、これまた危険を孕んでいますけど。また、苦しみの渦中に居る間、他人への働きかけが疎かになってしまうのは、改善が難しいけれど要反省です。

僕は、ある意味で「苦しみコレクター」かもしれないです。苦しみに耐えるのは辛い。でも辛さを知らないと、他人への優しさが上辺だけのものになってしまう。

マゾ?

いやいや、一時的に見ればそうかもしれないけれど、長期的に見たら、違う筈。

「他人への優しさ」云々言っているけれど、それは自己を満足させる為だと結論してます。一時期、自分は善なのか悪なのか悩みました。他人に”良い事”をするのは果たして本当に他人の為なのか、と。その時の答えは「偽善者で行こうぜ。精一杯善人を演じるのさ」でした。そう考える方が楽だし、その辺をごちゃごちゃ考えて悩むより、行動する事の方が大切だと思ったので。僕は、限りない白に憧れる、灰色の人間です。

ここまで読んでくれた方、長いのに本当にありがとう。

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uminomitiさんの「なんとなく、な日々。」でご紹介頂きました。
興味深い事が書いてあるので、紹介させていただきます。
→ 優しさ、と偽善。
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by syatin | 2005-10-04 13:38 | 考え事整理
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